双極性障害とうつ、「記憶に残っている、あの日」
双極性障害10年のなかで「記憶に残っている、あの日」
「あの時病院を出た時のことだ」
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」、のテーマを見た時に頭によぎったのは、双極性障害という病気のことです。
私の「あの日」は、心がその時は希望に満ちて、今となってはやりきれない気持ちになった出来事です。
双極性障害じゃなくて、うつ病の誤診だった
あの日、というのは9年くらい前の春のことです。
私は当時、適応障害(うつ病)という診断を受けて、会社を休職して、それでもダメで退職して、若干のひきこもり状態で治療をしていました。
薬を飲んで、昼間はぼーっとして、寝るだけの日々です。
そんな日々が数ヶ月続いて、泣くこともほぼなくなった時の通院で、主治医から「もむ来なくていいです。薬も飲まなくていい。」
そう言われて私の闘病生活はピリオドをうちました。
もううつじゃないんだ!そう思った私はスキップするくらい、春のおだやかな空気のなか、希望に満ちて病院を出ました。
ところが、それはただの誤診でした。
私はうつ病ではなく、双極性障害で、その後再発と休職と退職と転職を場当たり的に繰り返すようになってしまったのです。
双極性障害に誤診が多いという事実
双極性障害は誤診が多いと一般には言われています。
私のようにうつ病と診断されるケースはその一例です。
双極性障害は、躁とうつが波のようにある病気です。
ただ、波も同じ分上下(上が躁、下がうつ)にあるわけではなく、人によっては上の波が少なかったりします。
そうなると、うつのエピソードのみに焦点が当たるしかなく、うつ病の診断となってしまうことがあるようです。
また、メンタルの病気の場合、判断力や自分を客観視する能力が落ちてしまい、自分の身になにが起こっているかを医師に伝えられず、誤診に繋がることもゼロではありません。
私の場合、双極性障害の躁ととられるエピソードをきちんと医師に伝えることができていなかったように思いますが、その記憶すらもあやふやなのです。
双極性障害が寛解したわたしができること
さて、紆余曲折を経て、双極性障害が寛解した私ですが、今何ができるのだろうと考えると、2つです。
1.再発させない
2.自分の経験で終わらせない
1.は当たり前なのですが、ここまできたので、もう2度と再発をしたくはないのです。そのため、予防として処方された薬を飲み、規則正しい生活を心がけています。
2.は自分が双極性障害と知った時に、情報があまりにも少なかったことで主治医にべったり頼ってしまい、結果うまくいかなかったことがたくさんありました。
主治医は双極性障害のすべてを教えてくれるわけではないのです。
あのときこれを知っていれば、と思うことは山のようにあって、何度も悔しい思いをしました。
そこで、同じように双極性障害やメンタルの病気で悩んだり、困ったり、不安になったりしている方に、自分の経験を伝えることでサポートができないかと思うようになりました。
そこで、このブログやツイッターから情報を発信しています。
なかなか、難しいことが山のようにあるのですが、「ありがとう」「こういう情報は必要」といった言葉をいただけることがあって、やってよかったのかなと思います。
私の「記憶に残っている、あの日」はどこにつながっていくのでしょうか。
あの日を辛いことだけで終わらせず、希望ある明日やその先へとつなげていきたい、そんな気持ちでいます。